2011年03月29日

◆実家(福島県)に来ています。

実家の福島県郡山市に来ています。

24日の朝福島県の自動車道路が開通し、車で長野市から実家まで行けるようになりました。
ガソリンも入手できるようになったので、
27日(日)に車で郡山市に移動しました。
とりあえず、家族や友人知人の顔を見に。顔を見せに。

郡山市は津波の直接的な被害もなく、
ライフラインのダメージも比較的少なく(?)
私の家族や友人知人も無事でした。
実家も住み続けるのに当面は問題ない程度です。

郡山に向かう高速道路(新潟県を北上し福島県の西から入りました)や、
市内の主要な道路は問題なく通行できています。
道路事情の悪さも予想してとばせるところはとばしましたが、
拍子抜けするくらい早く着いちゃいました。
特別危険を感じるような箇所はありませんでした。
新潟市の手前の黒崎SAで、並びはしたものの、満タンにガソリンを入れることができました。

高速道路では、何回も長野県の消防の車や支援物資を運ぶバスなどを見かけ、本当に嬉しく思いました。
タンクローリーやトラックが走っているのをこれまでになく心強く感じました。

郡山市内は、地震から2週間以上たった今、一見あまり道路や建物が壊れているのは目に付きません。
主な店は開いています。ガソリンスタンドは休業が目立ちました。
よく見ると、道路の脇に崩れたブロック塀らしきものが積み上げてあったり、
建物にブルーシートなどがかぶせてあるのが見えます。

知人A(40歳前後、夫婦と子供一人)の家は、6年くらい前に建った(おそらく)鉄筋の住宅で、エクステリアを含めて損傷はなかったようです。
食器が落ちたりスピーカーが倒れたりしたようでしたが、もうすっかり家の中は片付いていました。地震直後からライフラインにも大きな問題はなかったようです。近くに住むご両親がしばらく夜はとまりに来ていたとのことです。
こちらのお宅で喜ばれたのは、ガソリン携帯缶に入れて持っていったガソリンでした。
通勤の苦労や、お子さんが友達と遊べなくて退屈してしまうことなどが話題でした。

知人B(50代後半女性単身)の家は、11~2年前建築の木造住宅です。外観上は問題ありませんが、家の中では角々に縦にひびが入っていました。給湯器が壊れて、水は出るけれどお湯が出ない(お風呂に入れない)と言っていました。
この女性には、彼女の好みもあるのでしょうが、手土産の洋菓子が一番喜ばれました。地震に関係して厳しくなった仕事の話を聞くことが、多分一番お役に立てたと思います。
ここで、偶然あった知人C(40代子供二人)に一番喜ばれたのは、長野の野菜と海草でした。

実家は、30年位前に建った木造の建物です。住宅地で周囲の建物も同時期に立ったものがほとんどです。それぞれリフォームなどはしているようですが。
ここも、家の建物は一見問題なく建っていました。
よく見ると、外壁にひびが入ったり、風呂場のタイルが割れて欠けたり、勝手口のドアがぴたりと閉まらなくなったりしています。地震の時には、アルミのサッシが外れて落ちたりもしたそうです。食器棚の扉がガラスが割れたり外れたりしたとのことで、食器が三分の一くらいに減った扉のない食器棚になっていました。
実家の内部の様子は、ほとんど以前と変わりなく、同じ家具を使って同じように生活しています。私の使わせてもらえる布団も、着替えもありました。
持って行ったもので実家で一番喜ばれたのは、ちょうど壊れて、でも郡山では買えないので代わりに購入していった小型の家電製品。ま、リクエストされたので、当たり前といえば当たり前ですが。
周囲の家では、瓦屋根が落ちてブルーシートがかぶせられているのが目立ちました。

70代の実家の両親の一番の心配は、原発事故の推移です。
実家は、福島第一原子力発電所から60㎞程度のところです。
放射能が心配というよりは、彼らの不安は、避難指示などにより、今の生活環境を手放すことを強いられることのようです。
彼らによれば、年齢的にも今放射能を浴びても健康に影響がでる恐れは少なく、健康への影響として出るころにはどうせ生きていないだろう、だから放射能は怖くないということです。福島県内産の野菜を選んで買うくらいですから、きっと本心なのでしょう。水を飲むことや外出にも抵抗はありません。一応雨には極力当たらないようにするそうですが。(私も子供もなく放射能はあまり気にならないので、そんな実家での生活に不安は感じません。)
ただ、とくに父親ですが、持病もあり体も利かないので慣れない環境で生活しなければならなくなることへの心理的抵抗がかなり大きいと感じます。私の長野の住まいには空間的にゆとりがあるので、必要なら(一時的にでも)移ってきたらいいと勧めても、気乗りしない様子でした。
原発から20~30㎞圏内の彼らの知人が、本人の意向に反して、周囲のお知り合いや病院や商店などがなくなることによりその場所に住み続けられなくなったということが、私の親にとってはショックだった様子です。
原発が最大の関心事ですが、それによる避難生活への不安が基本にあるようです。

まだとりあえず住める家があり、物資もある程度入手でき、一通りの生活ができている、私の両親のことです。
それどころではなく、否応なく避難生活をせざるを得ない方が多くいらっしゃるもの、理解しています。
このことの是非や、それに対する意見はさておき、現状の記録として書いておきます。

今回実家を含め何箇所かの家族を見て感じたのは、必要としていることは本当に人それぞれなのだということです。
家族構成、仕事の有無や内容、子供やほかの家族の有無、年齢…被害の状況もそれぞれ異なりますが、そういった生活背景により困っていること、必要な援助は異なるんだと実感しました。
さしせまった命や健康の危機がないからこそ、ともいえるのではないかと思います。大変な被災状況のかたがたも、これから生活が安定するにつれて、問題は幅広くさまざまな援助が必要になるのだろうなと思わされます。

*****

郡山ですでに2泊しましたが、やはり余震は多いです。
2,3度は大きな揺れを感じました。ここでの最大震度は3くらいだったでしょうか。(追記:これをアップした後震度4がありました。)
両親はもう慣れてしまっているのですが、私はテーブルの下に入ったこともありました。

実家ではずっとテレビがついています。ずーっと地震や原発の報道が流れています。とくに原発事故の推移が多く伝えられているでしょうか。(それはきっと長野やほかの地域もいっしょですね。)
もともと無趣味な老人なので、一日中テレビを見ているのですが、私自身は普段テレビを見ない生活をしているので、正直これに一番応えます。
灯油などを無駄にしたくないし、せっかく来ているのでなるべく一緒にいて他愛もない話でもしていようと思うのですが、ずっと災害報道では、私のほうもどんどん気分が滅入ってゆきます。
親にも、正直言えば、テレビを見るのは最低限にしてほしいのですが、様子を見に来てくれた親戚も言っていましたが、情報が入らないのも不安でテレビを消しておけないそうです。同じ、事故状況の説明(トレンチの水の放射能がどーだとかこーだとか)などを、チャンネルを変え番組を変えずーっと見ています。
それだけ不安なのでしょうが、情報収集による安心以上にむしろ不安を強くする悪循環のような気がして、喜ばしい気持ちにはなれません。親がドラマを見ていてくれたりすると、ほっとする自分に気がつきました。

個人的な感想ですが、こういうときはNHKの淡々とした報道が一番安心します。民放のタレントやコメンテーターがもっともらしいことを感情的に言い募るばかりの番組には、かなり神経を逆撫でされます。

生活の内容自体は(仕事をしないことを除いては)長野にいても、ここ郡山にいても、大差ありません。
むしろこちらでのほうが、きちんとしたものを食べ、会話があり、人間的な生活をしています(苦笑)。
でも、郡山にいる今のほうが、「非常事態」だという緊張感や不安を感じています。まあ、いわゆる「被災地」なので、当たり前といえば当たり前ですが。
震災に関しても情報量も違いますし(放射能量が刻々と報告されていたり)、ほかの人々の被害にもより臨場感を感じますし、なんというか、いろいろな要因はあるでしょうが、長野にいるときとは違う雰囲気を感じます。

仕事をしていない=老いた両親と家にこもってテレビばかり見ているというのも、心理的によくない影響がある気がします。
不安が強いからこそ、体や手を動かし、現実的具体的に目の前のすべきことをするのが大事ですね。
一杯一杯になっている父親ですが、私のために昼食を作ってくれました。(彼の得意料理(?)のお好み焼きです)食べているときは原発を忘れていられると、彼は言いました。「料理を作っているときも忘れていたでしょ?(お母さんばかりに作らせていないで)お父さんももっと料理したらいいね。」と言って笑いました。
そういう時間が、いいなあと思います。

昔からの大事な友人知人に会って、両親に会って、
いろいろ感じたことを、はしょって言えば、
「私も、誰かに愛されていて、必要とされていて、誰かの役に立てる」です。
できることは小さいのですが、確かにそう感じます。
それは、私自身にとても元気を出させてくれるものです。
私の生きる力になる感覚です。

そして、私だけではなくて、みんなが、すべての人が、
誰かから愛されていて、必要とされていて、誰かの役に立っているのだと
実感を伴って思います。

*****

こちらに来て3日目、夜こそは冷えるものの、日中は日が差して暖かいことに、本当に救われます。
やることもなく暇なので、実家の飼い犬と一緒に日当たりのいいところでボーっとしていました。
その時間はテレビも消えていました。

穏やかで平和で、こういう時間が続くといいな~と思いました。

そのときの明るい青空のイメージで、日差しのぬくもりのイメージで、祈ります。




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Posted by カレイドスコープ みずほ at 17:32Comments(3)