2011年03月14日
◆遊んでいました。→やばいのは…
さてさて。地震速報などで度々名前が挙がる長野県なので、他の地域の皆様には大変ご心配をおかけしていますが。
昨日から、ワタクシ、一泊遊びに行っていました。
前々から約束していた友人宅に集まる会が、開催されたのでございます。
今住んでいるところはほとんど余震も感じないんだよね。
ちなみに遊びに行った先も長野県内なのだけれど、
集まった人も県内や隣県在住者なんだけれど、
まー中止って話にはならなかったしw
個人的には独り暮らしで話す相手もいないので、
友達と一緒にいたほうが心強いしね。
ガソリン使っちゃうのが少し心配だったけど、
まー。私が幸せに生きるのに使うための資源だから。
使うよ、ガソリンくらい!
なにはともあれ、
「こんなとき」ほど、普通の生活(仕事や遊び)が大事!
だとも思うの。
いや、マジで。
で。滞在先でテレビは多少見たものの、ネットやテレビにかじりついて災害情報だけをみていて
ずっと不安と緊張を高めている状態から離れて、
正直、良かった。
そのまえの36時間ほどの異常さを感じ、ちょっと自分を立て直すのに役立った。
ずっとあの緊張感の中にいたら、被災地の人の不安や緊張の比ではないと思うけれど、
私は心の健康な状態を損なっていたかもしれない。
*****
さて、そうやって十分遊び、さらには仕事までして、
ふと独りになったとき。
どどっと襲ってきましたよ。欝な気分(?)が。
まず、一人でいるのが嫌。
急に寂しさと心細さが増幅されて襲ってきた感じ。
気分は晴れないで寂しいようなそのくせ動きがないようなどんよりした感じだし。
それから災害関係の情報を入れたくないの。
いや、知りたいのは知りたい。
特に原発のこととか、前にも書いたけれど、周辺に知人がたくさん住んでいるので、知りたいんだけど、
でもニュース(ネットでのニュース動画)つけたくない。
あの、大変だ!大変だ!っていう雰囲気に触れたくない。
飲んだ次の日で遊び疲れていることとか、緊張する仕事でエネルギー使ったこととか、
そういう普段でも気分が落ちる条件もベースにあると思うんだけど。
でも、この「非常事態」の緊張感は相当心理的な負担が大きいと、感じている。
36時間体験しただけでも、自分がこんなにダメージ受けていたことに驚く。
この遊んで仕事した36時間があったから、やっと「欝な気分」で出せている感じ。
ツイッターで見つけた内容。
そうなんだろうな~と実感を伴って理解できる。
ショックが大きかっただけに、その湧き上がってくる不安や恐怖はいかばかりか。
ツイッター関連でもうひとつ見つけたのは、
#edano_nero というハッシュタグ。
「枝野寝ろ」ですw このユーモアと優しさには、本当にじんわりします。
ハッシュタグというのは、共通のつぶやきを集めるためにつぶやきにつける記号みたいなもの…でいいのかな?
とにかく、この記号で検索すると、枝野官房長官の健康を心配する呟きがたくさんでている。
彼を代表として、そして、目に届かないところでたくさんの人が、
事態を何とか少しでも良くしようと、不眠不休で動いているんだよね~。
無理のできない私には想像を絶するような緊張感と責任感で、それをやっているんだよね。
そういう人たちの燃え尽きも心配。
緩んだときに、抑えていたものが出てくる。
たくさん抑えれば、それだけたくさん出てくる。
抑えて急場をしのげるのも、人間の力だけれど、
実際それに助けられてもいるのだけれど。
でもせめて、抑えたものが出てくる状態が健康で自然なことだとわかっていないと。
たくさんのものを抑えていて、それはかなり自分を苛めていることだとわかっていないと。
子供や他の人に緊張と我慢を強いないでいたい。
自分に必要以上の緊張と我慢を強いないでいたい。
緩まなきゃ、健やかでいられないんだよ。
36時間の緊張と36時間の緩みで、思ってみたこと。
これも「忘れないために書いておく」だ。
*****
ちなみに、私にとって役に立ったこと。
どーっと欝な気分が襲ってきたとき、友人が電話をくれた。
思わず泣いてしまった。
でも、少し話したら気持ちが落ち着いた。
親に電話した。有線電話からはあっさり繋がった。
深刻じゃない話をしたり、親戚の状況を聞いたり、
メールでやり取りはしていたけれど、声を聞けたのはやっぱり違う。
電話が終わったとき、さらにもう少し気持ちが安定していた。
当たり前のことだけれど、
こういうときにやっぱり他の人の存在が自分を助けてくれるんだと思う。
そう考えると、こういう緊張と不安が高まらざるを得ない緊急事態に、
単身で居ることがまずハイリスクなのだ。
生の声が聞ける。身近に他の人の存在を感じられる。
それだけで、全然違う。
こういうとき、ひとりでいてはいけない。
我慢しないで助けてもらおう。誰かに甘えよう。
できるだけ、助け合おう。
最後に、ツイッターから他のつぶやき。
昨日から、ワタクシ、一泊遊びに行っていました。
前々から約束していた友人宅に集まる会が、開催されたのでございます。
今住んでいるところはほとんど余震も感じないんだよね。
ちなみに遊びに行った先も長野県内なのだけれど、
集まった人も県内や隣県在住者なんだけれど、
まー中止って話にはならなかったしw
個人的には独り暮らしで話す相手もいないので、
友達と一緒にいたほうが心強いしね。
ガソリン使っちゃうのが少し心配だったけど、
まー。私が幸せに生きるのに使うための資源だから。
使うよ、ガソリンくらい!
なにはともあれ、
「こんなとき」ほど、普通の生活(仕事や遊び)が大事!
だとも思うの。
いや、マジで。
で。滞在先でテレビは多少見たものの、ネットやテレビにかじりついて災害情報だけをみていて
ずっと不安と緊張を高めている状態から離れて、
正直、良かった。
そのまえの36時間ほどの異常さを感じ、ちょっと自分を立て直すのに役立った。
ずっとあの緊張感の中にいたら、被災地の人の不安や緊張の比ではないと思うけれど、
私は心の健康な状態を損なっていたかもしれない。
*****
さて、そうやって十分遊び、さらには仕事までして、
ふと独りになったとき。
どどっと襲ってきましたよ。欝な気分(?)が。
まず、一人でいるのが嫌。
急に寂しさと心細さが増幅されて襲ってきた感じ。
気分は晴れないで寂しいようなそのくせ動きがないようなどんよりした感じだし。
それから災害関係の情報を入れたくないの。
いや、知りたいのは知りたい。
特に原発のこととか、前にも書いたけれど、周辺に知人がたくさん住んでいるので、知りたいんだけど、
でもニュース(ネットでのニュース動画)つけたくない。
あの、大変だ!大変だ!っていう雰囲気に触れたくない。
飲んだ次の日で遊び疲れていることとか、緊張する仕事でエネルギー使ったこととか、
そういう普段でも気分が落ちる条件もベースにあると思うんだけど。
でも、この「非常事態」の緊張感は相当心理的な負担が大きいと、感じている。
36時間体験しただけでも、自分がこんなにダメージ受けていたことに驚く。
この遊んで仕事した36時間があったから、やっと「欝な気分」で出せている感じ。
ツイッターで見つけた内容。
東京女子大の広瀬弘忠教授(災害・リスク心理学)によると、地震や津波などの災害を経験した直後は、体も緊張した状態で「助かってよかった」という前向きな思いが強いですが、4~7日ほど経つと気持ちが変化し、押さえ込まれていた不安や恐怖がわき上がってくるそうです
そうなんだろうな~と実感を伴って理解できる。
ショックが大きかっただけに、その湧き上がってくる不安や恐怖はいかばかりか。
ツイッター関連でもうひとつ見つけたのは、
#edano_nero というハッシュタグ。
「枝野寝ろ」ですw このユーモアと優しさには、本当にじんわりします。
ハッシュタグというのは、共通のつぶやきを集めるためにつぶやきにつける記号みたいなもの…でいいのかな?
とにかく、この記号で検索すると、枝野官房長官の健康を心配する呟きがたくさんでている。
彼を代表として、そして、目に届かないところでたくさんの人が、
事態を何とか少しでも良くしようと、不眠不休で動いているんだよね~。
無理のできない私には想像を絶するような緊張感と責任感で、それをやっているんだよね。
そういう人たちの燃え尽きも心配。
緩んだときに、抑えていたものが出てくる。
たくさん抑えれば、それだけたくさん出てくる。
抑えて急場をしのげるのも、人間の力だけれど、
実際それに助けられてもいるのだけれど。
でもせめて、抑えたものが出てくる状態が健康で自然なことだとわかっていないと。
たくさんのものを抑えていて、それはかなり自分を苛めていることだとわかっていないと。
子供や他の人に緊張と我慢を強いないでいたい。
自分に必要以上の緊張と我慢を強いないでいたい。
緩まなきゃ、健やかでいられないんだよ。
36時間の緊張と36時間の緩みで、思ってみたこと。
これも「忘れないために書いておく」だ。
*****
ちなみに、私にとって役に立ったこと。
どーっと欝な気分が襲ってきたとき、友人が電話をくれた。
思わず泣いてしまった。
でも、少し話したら気持ちが落ち着いた。
親に電話した。有線電話からはあっさり繋がった。
深刻じゃない話をしたり、親戚の状況を聞いたり、
メールでやり取りはしていたけれど、声を聞けたのはやっぱり違う。
電話が終わったとき、さらにもう少し気持ちが安定していた。
当たり前のことだけれど、
こういうときにやっぱり他の人の存在が自分を助けてくれるんだと思う。
そう考えると、こういう緊張と不安が高まらざるを得ない緊急事態に、
単身で居ることがまずハイリスクなのだ。
生の声が聞ける。身近に他の人の存在を感じられる。
それだけで、全然違う。
こういうとき、ひとりでいてはいけない。
我慢しないで助けてもらおう。誰かに甘えよう。
できるだけ、助け合おう。
最後に、ツイッターから他のつぶやき。
子どもの場合は、両親や祖父母など、身近な人がいつも一緒にいることが、心の安定につながります。高齢者は、最初のショックは若者より小さいように見えますが、若者と比べて回復力が弱いため、長期間のケアが必要だそうです。(東京女子大・広瀬弘忠教授)
Posted by カレイドスコープ みずほ at
21:25
│Comments(3)