2012年04月26日

◆贅沢な人間関係

今日は、松本市でケビンのOMBを受けてきた~。
(↑ディクシャ用語連発www
 「中西研二さんによる、ワンネスメディテーションブレッシングという新しい手法の、ディクシャというエネルギーワークを受けてきた。…です。)

ディクシャのあとは、いつも頭が「しーん…」としちゃって、話をしたくない気分w

*****

OMBの前の瞑想のときに気がついたこと~☆

私は今とても人間関係に恵まれているのよ。えっへん。
あ、知ってた?そうよね。

「恵まれている」の言葉には色々なことが含まれるだろうけれど、
今日気がついたのは、
今の私の持つ人間関係には中身が伴っているということ。
形骸化した関係がすごく少ない!ってこと。

昔の職場のことを思い出したの。
そこで私はある部署に所属していた。その部署には色々な専門職の人が居て、転勤しなくて、みんなその職場が長くて、なんつーか、皆親密な職場だった。
私はその職場に転勤していって、私のポストは私独りで、そして転勤が頻繁にあるのもその部署ではそのポストだけ。
15年くらいの間に、私のポストには私を入れて3人がついたけど、他はほとんど人が動かない部署だった。
私がいる間に、お二人定年退職の人が居たけどね。

で、定年のその人たちが辞めるときの送別会は、お泊り。
だって30年以上も毎日一緒に働いた人たちだし。そりゃあ、当然そのくらいのことをしてあげたいような人間関係。
そして、5年しかいなかった私のときも、出るのは私ひとりなのに、その部署の送別会はお泊りだったのだ…。
私には、これが、すごーーーく気が重くって、辛かった。

いや、普通に仲よくしてもらっていたんだけど、働き方が基本的に違うので、同じ部署に居てもちょっと毛色の違う私のポストだったのだ。
がっちり同じ毛色で、しかも定年のあの人たちとは違うんだよ~
転勤ポストなんだから、5年しか居なかったんだから、もっとさらっとやってくれていいんだよ~

私は私に対する実際の気持ちと、その送別会の規模(?)が釣り合っていないように感じて、それがすごく嫌だった。
「形式」でお泊り送別会にしてもらったけど、「実際の気持ち」はそこまでじゃないように感じたの。
気持ちが無いのに、時間的にも金銭的にも大きな負担をかけるようで心苦しかった。

わかんないけどね。部署のみんなは、そんなこと感じてなくて、素直に十分心のこもった送別会だったのかもしれないけれどね。
当時の私がそう感じたというだけで。

とにかく、心がないのが嫌なのよ、私は。
本心と表現(行動)がズレているの嫌い。
そういう扱いされるととても傷つくし、
相手に心と見合わない行動をとらせることも、負担をかけているようで傷つく。

今は、そういうことが、すごーーーく少ない。

人間関係での慣習とか形式とか前例踏襲とか、すごく少ない。
「気持ちは無いのに形式や礼儀として仕方ないから行動をとる」ことがかなり少ない。
そりゃあ、贈り物の金額で他の人とのバランスを考えたりは、もちろんするけど。
人間だから実際思っている以上にいい顔するときもあるけど、それだって、
「今はこの人に嫌われたくない」とか
「この人にはいつか何かを頼むから、いい印象を持ってもらったほうがいい」って
そういう自分の気持ちとか、自分の価値観、自分の損得が基準。
そして、その「いい顔」は、自分が嫌だったらやめられる。

私は、私が会いたい人に会いたい形で会うことができる。私の気持ちに釣り合った形で関われる。
そして、私に会ってくれる人たちも、同じように、気持ちがあるから会ってくれる。それぞれの気持ちに釣り合った形で私に関わってくれている。
と、感じられる。信じられる。
気持ちと行動にアンバランスがない。ほとんど一致している。そういう人間関係に囲まれている。

なんという、贅沢!!
それが、すごく嬉しいし、ありがたいなって思ったの。

あと、これを打っていて、
私はどんだけ「気持ち」が大事なんだ!っても思ったw
きっと人によっては、形式や実際の形が大事だと思う人もいるんだろう。
気持ちなんかで態度を変えられたり、付き合い方変えられちゃたまらん、という意見もあるだろう。
でも、私はそれだけじゃ駄目なんだわ。
そういうことが、分かった。
うお座、誕生数9、そういう感じ?

うむ。









Posted by カレイドスコープ みずほ at 23:56│Comments(0)
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