2013年06月24日
◆独白
つぶやくよ~。
長いからtwitterにしないだけで、内容的にはtwitter的な、意味不明の独り言だよ~。
でも書かずにはいられないんだよ~。
だってー。なんか後味悪いんだもの。
今日、キャッチボールのようなことをした。
ちょっと、剛速変化球を投げすぎたかもしれないの。
ええ、私が真面目なキャッチボールが出来るわけは、まして剛速球が投げられるわけはないので、
あくまで例えです。蛇足ですが。
ま、割と気安い相手だったので、事後に
「いやー剛速球投げすぎたよ。ごめんね~。
でも、必死に取りに行ってくれて嬉しかったよ~。」
的なフォローが出来たのは良かったのだけど…
それでも、後味わる~い。
あーごめんねごめんね。あの球は受けられないよね。
だって、取れないように投げているんだもん。
だから取れなかったのはあなたのせいじゃないんだよ。
凹んだよね。嫌な気分になったよね。ごめんね。
って感じ。
でもね。
その前に他の相手に、私がこういう剛速球を投げられているのよ。
もっと「取れるもんならとってみろ」的な意地悪でノーコンな球だったわけで。
今日のキャッチボールは、技術向上のための練習みたいなもんだったので、
私としては自分も思い切りそんな剛速球を投げられる、数少ない機会だったのよ。
私がこの前受け損ねた球を自分でも投げてみよう!って思ったのよ。
それでも、私としてはせめてボールのやり取りの形はなるように手心加えたつもりだったんだけど。
投げてみて分かった。投げた人の気持ちが。
あれは、キャッチボールじゃなかった。
どこかに思いっきりボールをぶつけたいだけだった。
たまたまその目標に私がなっただけだった。
これが余りにもひどい投球だったので、実はやり直したの。
それも今日のキャッチボールのお相手には申し訳なかったと思う。
剛速球二連投。二度目は受けられる程度の球にはしたけど、楽じゃなかったと思う。
しんどい思いを2回もさせてごめんなさい。
2回目の投球は、自分なりに気がつくこともあって、よかった。ありがとう。
その気付きとは別だけど、思ったこと。
人は自分が虐められると、他の人を虐めたくなる。
私も受けきれないノーコン剛速球をくらって、自分も他の人にそんな球を投げてみたくなった。
自分が大変だったことを表現したくなるんだよ。
私こんなひどい球投げられたんだよ。こんなに難しかったんだよ。って表現したくなる。
半ば無意識だけど。
結構、球を受けきれないこと(私の未熟さもあり)とか、剛速球とかには、実は慣れっこなので、
もらった球をまねして投げてみて、初めて、
私の心にその球のイメージが強烈に残っていることに気がついた。
やっぱ、剛速球は怖いんじゃん、私だって。
その強烈なイメージを表現して発散して楽になりたかったのね。
そんな気がついたことも、今日のキャッチボール相手には伝えられたし、プラスのフィードバックもたくさんした。
けど、それでも、相手は凹んでいるだろうなって思う。
つか、私自身が自分が受けられなかったとき、実は凹んだから。
誰かに受けきれないような球を投げるって、こういうことなんだって実感した。
投げた私だって、気分良くはない。
投げたくて仕方なくて力いっぱい投げたけれど、でも後味は良くないんだね。
あー。ごめんなさい。
でも、あの球が受けられなかった自分を責める気持ちは、少なくなった。
ありゃ受けらんねーや。無理無理。私がどうこうって問題じゃない。
キャッチボールって、ボールが使えて、相手とやり取りできる状態のときしか楽しめない遊びなんだな~とも。
遊びたいけど、キャッチボールは出来ないって人、いっぱいいることも、実感。
後味悪かったけど、この体験から多くを得たいものだわ。ふう。
長いからtwitterにしないだけで、内容的にはtwitter的な、意味不明の独り言だよ~。
でも書かずにはいられないんだよ~。
だってー。なんか後味悪いんだもの。
今日、キャッチボールのようなことをした。
ちょっと、剛速変化球を投げすぎたかもしれないの。
ええ、私が真面目なキャッチボールが出来るわけは、まして剛速球が投げられるわけはないので、
あくまで例えです。蛇足ですが。
ま、割と気安い相手だったので、事後に
「いやー剛速球投げすぎたよ。ごめんね~。
でも、必死に取りに行ってくれて嬉しかったよ~。」
的なフォローが出来たのは良かったのだけど…
それでも、後味わる~い。
あーごめんねごめんね。あの球は受けられないよね。
だって、取れないように投げているんだもん。
だから取れなかったのはあなたのせいじゃないんだよ。
凹んだよね。嫌な気分になったよね。ごめんね。
って感じ。
でもね。
その前に他の相手に、私がこういう剛速球を投げられているのよ。
もっと「取れるもんならとってみろ」的な意地悪でノーコンな球だったわけで。
今日のキャッチボールは、技術向上のための練習みたいなもんだったので、
私としては自分も思い切りそんな剛速球を投げられる、数少ない機会だったのよ。
私がこの前受け損ねた球を自分でも投げてみよう!って思ったのよ。
それでも、私としてはせめてボールのやり取りの形はなるように手心加えたつもりだったんだけど。
投げてみて分かった。投げた人の気持ちが。
あれは、キャッチボールじゃなかった。
どこかに思いっきりボールをぶつけたいだけだった。
たまたまその目標に私がなっただけだった。
これが余りにもひどい投球だったので、実はやり直したの。
それも今日のキャッチボールのお相手には申し訳なかったと思う。
剛速球二連投。二度目は受けられる程度の球にはしたけど、楽じゃなかったと思う。
しんどい思いを2回もさせてごめんなさい。
2回目の投球は、自分なりに気がつくこともあって、よかった。ありがとう。
その気付きとは別だけど、思ったこと。
人は自分が虐められると、他の人を虐めたくなる。
私も受けきれないノーコン剛速球をくらって、自分も他の人にそんな球を投げてみたくなった。
自分が大変だったことを表現したくなるんだよ。
私こんなひどい球投げられたんだよ。こんなに難しかったんだよ。って表現したくなる。
半ば無意識だけど。
結構、球を受けきれないこと(私の未熟さもあり)とか、剛速球とかには、実は慣れっこなので、
もらった球をまねして投げてみて、初めて、
私の心にその球のイメージが強烈に残っていることに気がついた。
やっぱ、剛速球は怖いんじゃん、私だって。
その強烈なイメージを表現して発散して楽になりたかったのね。
そんな気がついたことも、今日のキャッチボール相手には伝えられたし、プラスのフィードバックもたくさんした。
けど、それでも、相手は凹んでいるだろうなって思う。
つか、私自身が自分が受けられなかったとき、実は凹んだから。
誰かに受けきれないような球を投げるって、こういうことなんだって実感した。
投げた私だって、気分良くはない。
投げたくて仕方なくて力いっぱい投げたけれど、でも後味は良くないんだね。
あー。ごめんなさい。
でも、あの球が受けられなかった自分を責める気持ちは、少なくなった。
ありゃ受けらんねーや。無理無理。私がどうこうって問題じゃない。
キャッチボールって、ボールが使えて、相手とやり取りできる状態のときしか楽しめない遊びなんだな~とも。
遊びたいけど、キャッチボールは出来ないって人、いっぱいいることも、実感。
後味悪かったけど、この体験から多くを得たいものだわ。ふう。
Posted by カレイドスコープ みずほ at 22:23│Comments(0)