心が少し溶けた

カレイドスコープ みずほ

2011年03月12日 23:04

私の出身地は福島県だ。
幸い向こうに住む両親の無事は確認できている。

だから、現実問題そんなに心配すべきことはないねだけれど。

昨日から今日にかけて、緊張しているようにはりつめているのだけれど、落ち着かず憂鬱な気分だった。
南の友人が電話をくれたけれど、私の感じている気分とのギャップに、イライラしたりしていた。

夜になって、何人かの福島(あるいは東北)出身のお知り合いと、電話したりメールしたりできた。

それで、やっと、自分がいかに不安だったかに気付いた。

知っている場所が映るテレビの映像、繋がらない電話、原発の近くに住む知り合いのこと。
ショックを受けて不安なのは当然なのに、ちゃんとその気持ちを感じていなかった。
もっと大変な人がいるという思い、被害がない地域の人には伝わらない感じ。
スーパーに行って、自分の気分と、あまりに当たり前なスーパーの日常の様子にもギャップを感じて、そんなことでも、自分の不安を押し殺してしまった。
でも、同じ境遇で、安全な長野にいて福島を心配している人と連絡しあえて、やっと、素直に不安な気持ちを認められた気がする。

メールでは「大丈夫。私たちが元気でいよう。」と打ちながら、こっち側ではボロボロ泣いていた。

私の家族は無事なのに、
何も悲しむことはないのに、
でも、私はこんなに不安で傷ついているんだと、やっと認められたし、涙と一緒にそれを少し軽くできた。

ずっと、今は祈ることを一生懸命やろうと思っていたけれど、
今になって、不安を認め手放しはじめて、やっと「祈り」になってきた気がする。
さっきまでとは違う心持ちで祈れている。

私が何かできるとすれば、人の話を聞くことなのだが、
この経験はきっと役立つ。
もっとショックを受けてもっと大変で、でもだからこそいつまでも泣けない人達もたくさんいる。たくさん出てくる。
その人達の力になれるように。

忘れないように書いておきたくなった。